スクランブルを超えてゆけ

最近、またすごいことになっている。

2、3日親としか会話をしていないと、次に友達に会った時うまく会話ができない。

ぼーっとしてしまって、考えてることをすぐに言葉にできない。

 

私は中学生くらいの時から今まで、文章を書くことが好き(レベルは置いておいて)なのだが、それはなぜかというと、喋るよりも楽だからなのかもと最近思っている。

喋ることはすぐに言葉として発声しなければいけないし、言い方やその表情で相手の受け取る印象が変わる。あとから訂正することも、簡単でないことが多い。

これに対して文章なら、推敲することができるし、喋ることよりも相手の受け取る印象の振れ幅がある程度一定になる。あとから訂正することも、公式な論文とかなら難しいかもしれないけど、ブログ程度なら安易にできる。

 

今はこうしてブログで文章を書いているけれど、それまでは日記をつけていた。つけていたというか、今も続けているけど。

自分のぐちゃぐちゃになった頭の中を整理するために、文字にしている。そしてそれを読み返して、たいしたことないなって思うために、文字にしている。

 

何か悩んでいることがあったり、嫌なこと、悲しいことが会った時に、私は他人に話すという選択を今まであまりしてこなかった。

話せる相手がいないわけではない。けれど、自分の好きな相手を自分のことでもし悩ませてしまったらどうしようとかって思ってしまうので、できなかった。

 

やっと最近、それをできるようになってきたというのに、またやり方が分からなくなってしまった。

どうしていいか分からない、他人の話を輪の端で聞いてにこにこ笑っているのがとにかく楽だし、気持ちが少し落ち着く。

けど、そればかりしていると自分で自分のことを喋る方法を忘れてしまうのだ。

 

さすがに困ってきているので、ブログに書いている。

こういう悩みは大学生っぽいのだろうか。何年後かの自分が見たら、ちゃんと笑えるのだろうか。

私はあまり一人になりすぎてはいけないタイプなんだ。

 

週6で渋谷のスクランブル交差点通っているのに、私だけが孤独のような気がしてならない。

これから冬がくる。うじうじしてて本当むかつくわ。