大体の決断は朝にする

何かに悩んだり決めなきゃいけないことがある時は、次の日の朝までなるべく待つようにしてる。

夜に考えることってあんまり良い方向に持っていけないから。

もちろん夜にも考え事するし、寝る前とかに色々思うことはあるけど、大抵はよくない感じになる。最終的に自己嫌悪になったり、自己中心的すぎることがよくある。

 

でも、そうなった時も朝になったらもう一回考え直してみようと思うことだけは忘れないようにしてる。

夜の暗い中で考えたこと、朝の空の下でも同じように思えるのか?っていつも自分に問いかけてる。

高校生になった時くらいからある感覚なんだけど、めちゃくちゃに晴れてる日って自分が今まで何の悪いことも人に迷惑をかけることも、黒い心を持ったことも一度だってない人に思える。親からは不足のない愛情をもらって、どんな悩み事だって相談できる友達がいて、相思相愛の誰かがいて、ハッピーエンドの小説しか読んだことのない平和の沼に浸かって生きてきた人に思える。

 

だからこそ大体の決断は朝にしようって思う。

よい人間にしか当たらないような日の光を浴びながらでも、前の夜に思ったことが正しいと思えるならきっとそれがベストアンサーなんだって。

 

何かに迷ってる時もそう。

昨日もそうした。朝の勢いに任せて、バイト前にしたLINE。

それから5時間が休憩がないのわかってるから読むのは15時頃って分かっててやって。その頃には返事があるだろうというのを予想してやってやりましたよ。

夜にそれをやろうとするとできないんだよな~。何か怖くなっちゃって。

 

私が朝ごはんを外に食べに行くのには、この理由が絡んでるのかもしれない。

朝に思うことは良い感じになるって、朝の自分を信じてるからでしょうね。

 

オレンジ色のくるくる回る看板のところで、今日も私は朝ごはんを食べる。

 

結婚は人生においてノルマなのか

今週のお題「恋バナ」

 

甘くも酸っぱくもなくて恋バナと呼ぶには重々しさがありますが、タイトルの通りです。

私は結婚しなきゃ人生じゃないと思ったことはないし、結婚しないという選択をする人もたくさんいるでしょうと思ってます。人それぞれですからそれは。

 

でもうちの母親はもう何年も前から「結婚しない人はおかしい。離婚してもいいから一回くらいは結婚しないと変な人だと思われる。」と言います。

今日も夜ごはんの時にこういう話題になったんだけど、やっぱり私には理解できなかった。

私自身はそのうち結婚したいし、いつかは子どもが欲しいなだなんてぼんやりと考えていますが、それが人生において絶対的な正解だとは思ってないです。

むしろ、この時代に結婚しなきゃおかしいと思う人なんているのかとさえ思います。母のように結婚しない人=なにかが欠けてる人と認識する人って、もしかしてそう少なくないのかな・・・とも考えてしまうけど、実際のところどうなんでしょうか。

 

それから、結婚に至るまでのプロセスについても最近いろいろ考えてしまう。

母の周りでは婚活アプリを使っている人がすごく多い。25歳とかでも普通に使って、それで出会って付き合ったりしているらしい。

もう恋愛結婚なんて幻想なのかなと思ってしまうよね。

 

というかそもそも恋愛すること自体が夢っぽい。

でもまあ考えてみるとこれだけいろんな人間がいる中で自分の好きな人を見つけられて、しかもその人も自分を好きで、相思相愛になれるというのは馬鹿みたいに死ぬほどロマンチックだなと思う。

それが結婚に至るとすれば、前世で滅茶苦茶に徳を積んだか、来世で地獄のような人生を送るかどっちかってくらいにすごいことなんだよなあ。

 

そういう奇跡の下に自分があると思うとすご〜〜〜ってなる。

まあうちの母は離婚していますが。なのに結婚についてここまで拘りがあるのも本当によく分からない。拘ってはいるけれど、結婚体験はもう終了しているじゃないですかって思う。なのに「以前結婚していた」という事実がここまで母のプライド形成に関わっているというのも謎・・・。いやむしろこれだけ引きずれるってことはやっぱりいいことなんですかね。

 

私はまだまだ結婚には程遠いし、他人のデートの話を聞いてるだけでいいです。ポパイでデートスポットをチェックするくらいでいいです。そんなに興味はないけどな。

「頭のてっぺんからつま先まで1ミリの間違いもないくらい・・・完全にわかり合いたい。」

タイトルにギクッとした人も少なくないんじゃないですか。

 

私も最近まで誰か一人でいいから私を完全に理解してくれる人がほしいと思ってた。

けど、完全な理解は私にとって必ずしも要るものではないことに気づきました。

性別問わず、特に自分の恋愛対象である性にはより一層だと思うけど

その人と一緒にいたいとか好きになる気持ちって、その人のことを知ってみたいって意味合いが多いんじゃないかと。

もちろん好きな気持ちの要素は他にもたくさんあるし、誰もが知りたい気持ちが多くを占めているわけではないと思うけど、まああることにはあるでしょうみんな。

 

じゃあもし相手のことをわかりきってしまったらどうするの?という話になってしまうけど

私もそれを一番恐れてる。

 

でも本当の本当に相手を好きになれているのなら、わかりきったところで好きな要素はきっと別にたくさんあるから、それでどうのこうのという話でもないのかな。

 

今書いてて思ったけど、私は今まで自分を理解してほしい、わかり合いたい(承認欲求といったほうが近いかも)という思いが一番にきていたけど、その重要度がそれほど高くないことに気づいただけかもしれない。

 

愛子ちゃんはこのあと、「その瞬間に死んでもいい」と続けるけど

それは色々と、様々な、紆余曲折を経て最後の最後にわかりきった瞬間の話をしているのかもしれない。好きな要素すべてを使い果たした果ての果ての時のことを話しているのかもしれない。

 

そう思うとこのセリフに共感できなくもないんだけど・・・

やっぱりよくわかりませ〜ん