「頭のてっぺんからつま先まで1ミリの間違いもないくらい・・・完全にわかり合いたい。」

タイトルにギクッとした人も少なくないんじゃないですか。

 

私も最近まで誰か一人でいいから私を完全に理解してくれる人がほしいと思ってた。

けど、完全な理解は私にとって必ずしも要るものではないことに気づきました。

性別問わず、特に自分の恋愛対象である性にはより一層だと思うけど

その人と一緒にいたいとか好きになる気持ちって、その人のことを知ってみたいって意味合いが多いんじゃないかと。

もちろん好きな気持ちの要素は他にもたくさんあるし、誰もが知りたい気持ちが多くを占めているわけではないと思うけど、まああることにはあるでしょうみんな。

 

じゃあもし相手のことをわかりきってしまったらどうするの?という話になってしまうけど

私もそれを一番恐れてる。

 

でも本当の本当に相手を好きになれているのなら、わかりきったところで好きな要素はきっと別にたくさんあるから、それでどうのこうのという話でもないのかな。

 

今書いてて思ったけど、私は今まで自分を理解してほしい、わかり合いたい(承認欲求といったほうが近いかも)という思いが一番にきていたけど、その重要度がそれほど高くないことに気づいただけかもしれない。

 

愛子ちゃんはこのあと、「その瞬間に死んでもいい」と続けるけど

それは色々と、様々な、紆余曲折を経て最後の最後にわかりきった瞬間の話をしているのかもしれない。好きな要素すべてを使い果たした果ての果ての時のことを話しているのかもしれない。

 

そう思うとこのセリフに共感できなくもないんだけど・・・

やっぱりよくわかりませ〜ん