東京生まれ東京育ちという呪い

「東京生まれ東京育ちはいかれてるやつが多い」

この言葉を忘れられる日がくるのはいつになるだろう。どうでもいいと思える日はいつになるだろう。

この理由は、「いかれた街で暮らしてるんだから、そうなるだろ」とのこと。「いかれた街」というのは、例えば高速道路の目の前にある家とか、どこにでもコンビニがあるとか、そういうもの。

 

私は東京生まれで東京で育ってきて、当たり前だけど高校まで東京で生まれ育った人以外と接する機会はほとんどなかった。

そして大学に入り、それが、そして私自身が日本のうちの少数派だということに気づいた。だって東京の人口の約半分が地方出身者なんだもんね。そりゃそうだ。

 

そして大学に入りたくさんの地方出身者と出会い、

「東京生まれとかうらやましい」とか「これだから東京生まれは」とか、「いかれてるやつが多い」とか

東京生まれであることを理由に色々なことを言われてきたけど、

どれに対しても、仕方ないじゃんってずっと思ってきた。本当にずっと思ってきた。

自分の生まれる場所を選べて、なおかつ日本の各地方についての情報を生まれる前に知れるのなら、私は東京を選ぶか? 選ぶかもしれないけど、それならもっと東京生まれであることを誇りに思えるだろうし、仕方ない以外の理由を見つけられたと思う。

 

でもそうはいかないんだから、これに関しては仕方ないよ。

東京に生まれ育ち、高校まで東京に生まれ育った人と関わってきて、大学に入って東京で生まれ育った人が少数派だということを目の当たりにするショックよ。衝撃よ。

自分が日本の少数派で、しかもそれを理由に色々なことを言われる悔しさよ。

「いかれたやつが多い」といった人は、それが悪いとかどうこうってことではないし、そんなやつが嫌いだとかそういうことではないんだけどとは付け加えたけど、それでも私は悔しかったよ。悪口ではないと言われているのに、地方出身で上京した人が一番偉いのだという意味として受け取ってしまうよ。

私だってできることならそうしたかった。地方に生まれていたらきっと上京したいと思うだろうし、そこで地方の良さ、東京の良さ、そして両方の悪いところを知って、それから選びたかった。

 

これから社会人になって金銭面とか色々に余裕が出たら、実家を出ることも、東京を出ることもいくらでもできる。私がどこで生活しようと、そんなの社会人にもなれば私が決めることだ。私はやっとそこで、生活基盤の自由を得られるのかもしれない。

 

東京に生まれれば、多くの場合自動的に学生時代は東京で過ごすことになると思う。家族まるごとで移住するような大きなきっかけがない限り、そうだと思う。大学だって、多くの人は都内の大学に進むだろう。

でも地方の人は、大学入学を移住のきっかけにできることが多い。私は本当にそれが羨ましい。嫌味ではなく。それから東京生まれであることを理由に色々と言われないということも羨ましい。少なくとも私は、地方出身者に対してそれを理由に何かを言ったことはない。私自身が出身地を理由に何かを言われることが嫌いだから、他人にもしないというのもあるけれど。

 

それからこれを書いていて思い出すのは、田中慎弥の「共食い」のことだ。

これを読んで、血の繋がりや故郷というものに対して「呪い」を感じた。呪いは強いけれど、私はそういうものを振り切りたいと、初めて読んだ時に思った。

 

ここまで書いておいてという感じではあるけれど、呪いを解くためには行動しなければならないということももちろん感じている。仕方がないのはそうだけれど、いつまでもそう言っていればいいわけじゃない。近い将来ではないかもしれないが、住む場所なんていくらでも変えられる。親に対して「東京に生みやがって」とも、別に思わない。

ていうか悪口ではないと言われてるのに、ここまで書ける自分がウケる。それだけ劣等感を抱いているということです。

 

大学に入ってから、なんとなく私は東京に住み続けないような気がしている。

嫌いではないけど、ここに執着するほどの理由もない。東京に生まれたから、そのまま住んでいるだけだ。

将来はどこへ行こう。京都とかだろうか。

セカンドライフはどこでするってことを、私は結構考えている。

あの子になれたら

私は、自分の立ち居振る舞いにおいての失敗を許せない。

「あの時ああしていれば」とか「あの時ああしなければ」とか、そういうのが人と関わっている時間の分だけ増えてゆく。

 

「そういう自分も、自分として受け入れる」ことのできる人を、本当に尊敬している。

私だって自分を許したい。

 

「あの子みたいになれたら」って思うことがたくさんある。

「あの子」というのは特定の人物ではなくて、その時々によって違う。

ある場面では「あの子」で、また違う場面では違う「あの子」になる。

私は、他人のいいところだけを吸い込んだ人になりたいと思っているんだろう。

そんな人間存在するわけがないし、ずっといい感じの人なんて見たことないのに。ましてや私のような人間がそうなれるはずないのに。

 

人と関わるということは、誰かを許すということだ。多分だけど。

私は誰かに許されているのか。許されていないわけないのに、こう思ってしまうのはなぜか。

考え方を変えるのって、本当に難しい。

 

あ〜FUWAちゃんと友達になりたい〜。

帰ると(待ってる)人がいる

友達のインスタストーリーを見て思ったこと。

 

今日で付き合って半年という彼氏とのツーショブーメラン、その端っこに小さく「帰ると待っててくれる人がいてほっとする」と書いてあった。

彼女は私の親友の一人で、中学の頃からお互いのことをよく知っている。中学の頃は男子とほとんど会話をせず、高校は女子校に進み、大学も男女比が8:2くらいのところに進んだ。顔はめちゃくちゃかわいいし性格もいいのだが、よく「彼氏できるのかな」と心配そうに言っていた。

そんな彼女に初めてできた彼氏が、「帰ると待っててくれる人」だ。

二人の出会いは色々なタイミングが重なって生まれたもので、なんというか分かりやすくいうと略奪だ。私の友達は人の彼氏を自分の彼氏にしてしまったのだ。

「彼女いない」と言われていたわけでもなく、いることを知っていて関係を築いてしまったのだから略奪で多分合ってるだろう。

でもそれについて、私は「だめだよ」とは言えなかった。もう過ぎてしまったことだし(略奪というのは後から聞いた)、悪いことなんて本人が一番分かってるだろうから何も言わなかった・・・のもあるが、何も言えなかった。まさか自分の親友が他人を傷つけるような恋愛をしてしまうなんて思ってもいなかったし、ショックだった。

恋とか愛とか、他のものも全て、とにかく他人を傷つけてはいけないと思っているので、彼女が幸せにしている裏で、元カノは泣いているんだと思うと悲しくなった。

元カノとは2年くらい付き合ってたらしいけど、2年も付き合った末、自分より10も年下の女に彼氏を取られるなんて、どんな気分だろう。私だったらもう殺したくなるほどにムカつくね。

 

付き合い始めから(厳密にいうと付き合う前から)彼女は家に帰らなくなった。正式に付き合い始めてから、親へ「同棲する」と報告したらしい。

 

帰ると親が(待ってる)いる家を出て、帰ると彼氏が待っている家に帰る私の友達。

そして待っててくれていることに幸せを感じる私の友達。

 

慣れてしまうと、待っていることが当たり前になり、なんならうざくなってしまうなんて、悲しい話だ。

そして私もこのことを考えて、はっとしたから悲しい話だ。

 

私にも待っててくれる親がいるのに、そこへ帰らない日が週に1回くらいある。大学生だし外泊も何も珍しい話ではないと思う一方、待つ人を裏切っているような、いや裏切っていると言ったら大げさかもしれないけど、そんな気持ちにもなる。

 

大学の後輩には、どうしても親が外泊を許してくれなくて、よくそのことを話す子がいる。

それってもしかして、外泊は危ないとかそういうのではなく、待ってる人がいる家をなぜ選ばないのかってところで許してくれないのかもなとも思った。

 

まあでもきっと、結婚やらなんやら、様々な理由で家を出る人なんてごまんといるし、一生親と同じ家に帰る人の方が少ないはず。家を出ることが悪いことではないし、私もいつかは出るけど、待っててくれる人のことを考えると、申し訳ない気持ちが少し湧いてくる。この先の未来、私は、きっと同じ思いを同じ分だけするのだろうな。