私が辞めてこなかったもの

・言葉を知る

普通に生活しているだけでも言葉は知れるし、言葉を以ってコミュニケーションをしているから言葉を知ることを辞めることの方が難しいけれど、私は自分の知らない言葉を見つけて覚えることを辞めてこなかった。何かを読んだり耳にしたりする中で自分の知らない言葉が出てきたら必ずメモをして、調べるようにしている。新しい言葉を知るのは面白いし、知っていればいるほど自分の気持ちや考えを相手に伝えるのが楽になると思う。後は単純に、私は色々な言葉を知っている人が好きだからそうなりたいなという理由もある。

 

・音楽

音楽を聴くことも作ることも好きだ。音楽だって日常生活の中にあふれているけれど、自分で「これが好き」と思える音楽を探すことは中学生くらいの時からやっている。誰に勧められたわけでもなく、youtubeとかで適当にプレイリストを再生している時に自分がいいと思う音楽に出会う瞬間は他の何にも代えられない、特別な気持ちになる。言葉にするなら「うわこれだ」がしっくりくる。最近は音楽配信サービスも充実してきて、「うわこれだ」となるのはそれ以前に比べれば簡単になってきたように思う。それは決して悪いことだと思わない。自分の感情が揺れる瞬間が多い方がなんでも楽しいに決まってると思うから。

もし私がこれからもっと不意打ちでの出会いを求めるようになったら、レコードをディグったりし始めるだろう。それはもっとお金に余裕が持てて、レコードプレーヤーを買ってからになるかもしれないけど。あとはカセットとか?とにかくそれらを再生する機器を買わなくちゃ、と最近思っている。

あと中学生の時に初めてギターを手にしてから、自分で楽器を使って音を出すことも辞めていない。技術はそんなにないけれど演奏するのは好きだ。人前で演奏しているときの気分はかなりいいし好き。

 

・文章を書くこと

多分私は同年代の人に比べたら今まで多くの文章を書いてきていると思う。手書きの日記、作文、レポート、ブログなど形は様々だけれど、基本的に自分の気持ちや考えを文章にする作業は好きだ。これは小学生の時からだけれど、文章を書く時間を苦痛だと思ったことが一度もない。小中高と作文がすごく苦手な人って一定数いたけれど、私は作文の時間ほど楽なものはないと思っていた。文章を書くのが好きだから、色々な言葉を知っていたいというのもあるかもしれない。

 

・やれそうなことはやる

物事全般に言えることだけれど、ちょっとどうにかすればできるということにはできるだけ手を出すようにしています。私にとって煙草を吸うことのきっかけは、割とこのことがあると思う。二十歳になってできるようになったことを、どうして選んでやらないの?と そこまでいかなくとも、できることをやらない理由がないからといった方が近いか。あとは大学の授業でもこれが言える。楽単をとったことなんて一度もない、学べる場があるのだから、学ばない理由がない。友達の一人に本当にやりたいことがなくて周りが大学進学するからという理由だけで大学に入学した人がいるけれど、それを聞いた時はぞっとした。都市伝説だと思ってたから。百歩譲って入学したての時はそれでいい・・・いやよくはないかもしれないけど、まあ大学に行ける余裕があるなら甘えてみるとして、学部3年にまでなってそれを言うのはかなり、引きました。こんなに自由で、学習できるチャンスはこれから一体どれくらいあるだろう。

まあ以上のことだけではなく、色々ととりあえずやるようにしている。広く浅くと言われても仕方ない。

 

・人と出会う

私にとって新しい環境や新しく人と出会うことは、とても心躍るような出来事だ。自分で言うのは厚かましいけれど、とりあえずその場しのぎで人と話すことは割とできる。自分と合わない相手と話す時も、なるべく相手には不愉快な気持ちにさせないようにすることもおそらくできている。だから新しい人との出会いに怖がることがないのだろう。特に大学に入ってから、自分の出会いたい人がいそうな場所には一人でも入っていくことをやった。その結果今があって、やって良かったという感想しかない。自分にとって良い影響をくれる相手と出会うのは早い方がいいかもしれないが、遅いということはないだろう。私自身入学してすぐにそういう人に出会えたわけではなかったけれど、途中から集団に加わって苦労したことは特にない。それは私とその集団とに共通点とか、とにかくお互い無理をする必要のない雰囲気があったからかもしれないが、ごくごく自然に仲良くなれたし、昔からいたみたいだと言われることもある。もっと早く出会えてればと一度も思ったことがないといえば嘘になるが、すごく後悔しているわけでもない。自ら積極的に新しい人と出会うことは、これからも辞めないだろう。

 

 

先日中学時代からの友人に、あなたは一貫性があるよねと言われたのがきっかけで今これを書いている。いつかの記事で私は自分自身のことを一貫性のない人間だと書いていたり、友人にそう言われるまで自分のことをふらふらした人間だと思っていたので驚いた。それで、今まで辞めてこなかったことを書き出してみることにした。続けているというと意識的にという感じがするが、辞めてこなかったというと無意識的な感じがする。意識して続けていることとなると、そんなにない。けど辞めてこなかったものはある、書いたものの他にも。意識してやっていたけど辞めてしまったもののことばかりを思って私は自分を一貫性のない人間だとしてきたけれど、友人は私の無意識的な部分を指してああ言ってくれたのだろう。

 

自分の事を客観視しているつもりだったけれど、全然そうでもないようだ。

一貫性があることが良いのか悪いのは私には判断できないけれど、少なくとも友人は褒め言葉としてそう言ってくれた。「芯がぶれないよね」と。

 

私には芯があるらしい。

自分でもよく分からないそれを見つけてくれる友人をもてて良かった。