自由とは選択肢があるということ

 

いつか村上龍がいってた。

 

私の自由は、家に帰ると確実に少なくなっている。

さっき初めてこの時間に外に出て煙草を吸った。

 

夜中に外に出ることも、煙草を吸うこともなにも法律に違反しているわけじゃない。

なのに、なんで私はあれほどにも緊張したんだろう。

もし1人暮らしを始めたら、親元を離れたら 私には選択肢が増える。今よりは絶対に。

自由とは、なんでもかんでもしていいわけじゃない。選択肢がある、いろいろなことを自分で選べるのが自由。

 

さっき夜風を浴びながら、この家を出たらどんな風になれるんだろうって真剣に考えてしまった。そのせいで早く眠るために飲んだ酒がどんどん分解されていくような感覚があった。実際もう酔いは覚めてしまった。

 

もうすこし家でご飯を食べなくちゃと思ったけど、私にとって家でご飯を食べる=母の相手をするということでもあるから、最近外でご飯を済ませてしまうようになった。疲れて家に帰っても、癒されないし落ち着けないから。

ありがたいことに自室はあるけれど、ノックもなしに母は入ってくるしベッドに座るし、私が真剣に何か作業をしていても話しかけてくる。寂しいのはわかる。

母から夫がいなくなり、私から父親がいなくなり10年以上経つ。

あれから母は私のために働いて、私のために生きてくれているようなものだ。生活の中心は私だろう。

 

でもそれが、私にとってありがたいことである反面重荷でもある。

家に帰って話を聞く相手であるだろう夫の代わりを私がやる

母は仕事で忙しいから家事全般を私がやる

母の仕事の愚痴を全部私が聞く

母の寂しさを私が埋める

 

なら私は誰に頼ればいい?私は、私の好きな人にはなるべく私のために疲れてほしくない。

最近ペットを新しく飼い始めたから、母にも構う対象ができた。以前より私の負担は軽くなったかもしれない。母と私、本当にそれだけの家なんて怖すぎる、だって私が全てを受け止めなくちゃいけないから。母にはきっと私しかいないから。

 

でも私にとって、母からする私みたいな存在はどこにいる?

私が辛い時は誰に慰めてもらえばいい?さっきも書いたけど、私は好きな人たちにそれはできない。信頼してても。

 

まあだからこうやって文章にすることで落ち着かせているんだろうな。

 

私が家を出て行くのは何十年も先じゃない、もっと現実的にある話だ。

その時母がどんな顔をするのか考えると、さすがに辛い気もする。

こういう時に両親揃って仲が良ければなとか考えてしまう。

 

今日かなりバッド入った時だって、結局誰にも自分の気持ちの状態を言えなかった。唯一「今週まじでつまんない」と言った相手が私にとってなんの思い入れのない相手だったというのもやばいのかな。嫌われてもいい相手にはなんだって言える気さえする。

 

けどもし好きな人にこういうことを話せて、何か言葉をもらえるならどれだけ勇気付けられるだろう。

 

外で吸ったHOPEの匂いがまだ指先からする。