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意識の上の「好き」と、そうじゃない「好き」について

ザ・雑記

最近考えるんですけど、

例えばサイゼリヤに行ったら何だかんだ悩みつつもいつも半熟卵のミラノ風ドリアを頼んでしまうのって、潜在的な「好き」なんですかね。

知らない間にステッカーが増えてたり、キラキラしたラメとかグリッターのものを買ったりしてるのもそれかな。

 

対してクリームソーダとかは、それを飲みに行くために喫茶店やらカフェやらを調べたりする。コンビニとかでお水を買うときも、エビアンをわざわざ選んだりする。これは意識された「好き」だよね。

 

人間に対しても同じことって言えますかね。

どこが好きか聞かれるとよくわかんないけど好きな人と、こういうところが好きってちゃんと言える人とがいる。

 

何となくだけど、意識の「好き」はちょっと嘘混じりっぽくない?って最近思った。好きなのは好きなんだけど、それがなきゃ死ぬってわけでもないような好きじゃない?

クリームソーダは見てても飲んでてもドキドキするけど、なくても死なないし

エビアンじゃなくてクリスタルガイザーでもいいわけだし。買いたくない水の銘柄もあるけど、それ以外ならいいやって思う。

 

意識してない、潜在的でぼわぼわしてる抽象画みたいな「好き」が、リアルっぽいやつなんじゃないかな〜と考えたりしてます。

 

そんな感じ!