安定した人生なんてそれは生温い地獄だ

私は割と毎日、今日死んでもいいやって思ってる。

現実的に考えると多分良くない考え(私が死ぬことで迷惑のかかる人がいるかもしれないしそうであって欲しいし、少なくとも親にはかかるはず)だし、心身ともに健やかとは言い切れないけれど持病とか死に繋がるものは今の所特に抱えてない。

 

でも、気持ち的には毎日死んでもいいやって思ってる。

事故に気を付けなさいとか泳げないんだから川とか絶対行くなよとか、地震があったら自分の身を守りなさいよとか、うちの親はほとんど毎日口を酸っぱくして言ってくるんだけど、正直自分が死にそうになった時にそれに抵抗できる気がしない。ていうかする必要もないと思ってる。あ、死んじゃうかもって思った時、必死に生きようとできるのか想像できない。

周りから見たら親からすごく大事にされてるんだから有り難いと思えよってなるだろうけど、私はそれがよくわからない。馬鹿なんだと思う。

 

まあどれもこれも自分の頭の中の話だから、実際死にそうな状況になったら助かろうとするかもしれない。

けど他の人は、自分の頭の中の話でも助かろうとするのかな。

 

私は自分のこと、お金とか他の人の命をかけてまで守る価値のない人間だと思ってる。だからもし病気になったとして、延命治療なんて絶対にしないだろうし、自然災害とかで他の人を犠牲にしてまで生きようだなんて思わない。

だからといって生活の全てにお金をかけたくないわけじゃないし、自信がないわけでもない。

食べ物とか着るものには人よりお金をかけているし、人と出会うことは基本的に好きだし、ちゃんと学校に行くし友達もいるし、自分の気持ちとか考えを残すためにこうやってブログまで書いているし。多分他の十九歳よりもお金のかかる人間だ。

でも命にお金をかけるかというと、それは生活必需品を買うよりももったいないと思う。

 

親からもらった命を!とか、せっかく大学まで通わせてもらってるのに!とか言われそうだし自己中心的すぎることは自覚してます。でもこういうところが未成年らしさというか、子どもらしさでもあるのかなとも思ったりします。

 

それでも私は、安定した人生なんて生温い地獄だって思います。

細長く生きるなら、太く短く生きたい。どうせ死んでる時間の方が長いんだから、生きている時に自分の好きなことをしたい。こんなようなこと、ノルウェイの森で直子が言ってたよね確か。

 

これまで長々と書いてきましたが、全ての行動において他人に迷惑をかけるのは絶対だめだよ。それだけはルールとして守っていかなくちゃいけない。

 

もう少し年をとれば考え方も色々と変わるのかもしれないけど、これが今の、ここ数年の私の生きることについての考え方です。何かをやるやらないの判断は、楽しいかそうじゃないか。面白そうかそうじゃないか。そういう感じで刹那主義的に生きているうちは過ごしていこうと思ってます。

 

でも長生きしたくないから、二十歳になったら煙草を吸おう。喫煙は、ゆるやかな自殺だって昔私の好きだったお笑い芸人が言っていたのを、未だによく覚えている。