八月三十一日

今年も8月最後の日はとてもいい日だった。東京ではない場所で過ごした。

東京に戻ると、もう空気はすっかり秋で、ひっくり返った蝉さえ見当たらなかった。夜にはコオロギが鳴いていて、冷えた風が吹いている。

8月でもそういう日あったけれど、8月の夜に吹く冷たい風と、9月に吹く冷たい風が全然違うのがおもしろい。温度はそう変わらないはずなのに、肌で違いがわかる。

 

去年の8月31日は、浅草でストリップを見ていた。エッチなんだけれど、エッチじゃなくて、あれをみて勃起する人はいるのだろうかと思うくらいだった。AVで見る裸ではなくて、お風呂場で見る自分の裸とももちろん違う、ストリップで見た女性の体は綺麗だった。綺麗、それしか言えない。美術館にいる時と同じ気持ちだった。

帰り道、一緒に行った先輩と「いい夏の終わりだよね、まさかこんな終え方できるなんてね」と微笑みながら言い合ったのをよく覚えている。

 

7月の終わりから8月の始まりはなんとなくでも全然大丈夫なのに、8月の終わりから9月の初めはなぜだかソワソワしてしまう。2年前まで夏は大嫌いだったのに、去年から夏が好きになってしまって、終わるのが寂しい。夏だからといって海に行くわけでもないし、今年は花火すらしてないし浴衣も着ていないのに、楽しかった。夏らしいことをする夏が好きなわけではなくて、楽しい思い出が夏にできたから好きになったんだと思う。一昨年までは夏にいい思い出がなかったから嫌いだったんだろうな。でも一昨年までに過ごした19回の夏のうち、15回目の夏は好きだったな。ギター背負って自転車乗って、スタジオにめちゃくちゃ入ってた夏。あれは面白かったな。

そう考えると、私まだ人生で3回しかいい夏を経験していないな。来年も再来年もさあ、楽しく過ごしたいね。それだけ。

とにかく今年の夏はよかった。よかったよかった。

 

最後に、私のソワソワする日ランキング

1位 8月31日

2位 3月31日

3位 自分の誕生日

 

大晦日とかは、意外と大丈夫。

 

 

ヴァイブレータを見た感想 それと夏休みのこと

廣木隆一監督のヴァイブレータを見た。

 

ああ見てよかったなあという映画だった。寺島しのぶはすごくきれいだし、大森南朋はかっこよかった。誰かがブログに書いていたけど、王子そのもの。王子という言葉がぴったり合う、そんな印象だった。

 

寺島しのぶがおかしくなってしまうあのガソリンスタンドでのシーン、痛々しくて泣けてきてしまった。

それからホテルのバスルームのシーン。あそこはもう最高だった。人と人が裸で対面することは、もちろん性的な意味もあるけれど、なぜか服を着ていない状態で相手と触れ合う事で自分の中にある亀裂みたいなものが埋められていく感覚が画面から伝わってきたのと、大森南朋の優しさと、寺島しのぶの弱さと、全部が重なってどうしようもなく胸が締め付けられるような感じになって、嗚咽を漏らしながら泣いてしまった。あれは本当にいいシーンだと思う。

 

挿入歌もよかった。はっぴいえんどのしんしんしんが流れてきて、ああ〜だよねとおもった。あとこの映画で初めて知ったKeito blowという方の曲もよかったと思います。2003年ぽさがすごくて・・・

 

最後二人は別れてしまうけど、まあそうだよね。あれで結局そのあと結婚しましたとかなったらえーって思いそうだし。

すごくよかったです。

 

それから夏休みのこと

最近は時間があれば漫画よんだり映画を見たりしている。ちょっと前までの自分はもう完全にだめになってしまっていて、隙あらば誰かに会いたい誰かと飲みたい、誰かとつながっていたいと思ってしまってしたけれど、もうやっと、やっと夏休みの過ごし方 というより予定が何もない日の過ごし方をわかった。

まあここ1年くらい一人での過ごし方が本当に下手くそになってしまっていたんだけど、今はわかる。誰かと会うのは楽しいし、会って話してああこの人いい人だよな 私は周りに恵まれているよなと思う瞬間もたくさんあったけれど、人と会う時のこういう感情の10%くらいがエンプティカロリーみたいな・・・多分そうだったんだと思う。相手が悪いことは何一つない、私が寂しさを埋めるのに誰かと会うことを選んでいただけで。

 

今こういう感じでいられるのももちろん周りのおかげです。

ありがとうと言おうとするとなぜだか泣きそうになってしまうけど、そう思ったならその時にいうべきだよなあ。

今日はたまごサンドを作ってあげよう。

そんな感じです。

ガールパワーの押し売り

 

最近、岡崎京子の漫画を読むのが辛くなってきた。彼女の漫画に出てくる女の子たちの強さに、私は負けてしまうからかもしれない。

女の子たちはみんな強い。私だったらもうこんなのおしまいになっちゃうってことでも、結構あっけらかんとしたような、または毅然とした態度でいる子ばかり。

私はだめになってる時、足りない頭で色々なことの色々な可能性を考えちゃうからあんな風にはいられない。初めて岡崎京子の漫画を読んだ高校生くらいの時は彼女の言葉のセンスとか、絵が好きだったからスラスラ読めていたのに、あれから5年くらい経った今の私は、「ええ?うそでしょ?」「そんなわけないじゃない」とかって心の中でつぶやきながらしか読めない。

女の子たちのもつパワーが、私には強すぎる。

 

また話は5年前に戻るけれど、当時の私は割とガールパワー界隈が好きだった(イロモノマーケットとか、毎回行ってた)。多屋澄礼ワールドといえば分りやすいだろうか。ああいう、ふわふわしていてガーリーで、でも芯があるよ、女の子つよいよ、みたいなところが好きだった。まああのころの私はそんなことまで考えてなくて、ただゆめかわ〜とか思ってただけなのですが。

今となっては、ああもう私あそこにはいけないなって思う。ガールパワー持ってないもん。もうジルスチュアートで買い物はできないし、MILKの羽のドアの取っ手も握れないもん。池袋のユニオンにあるGirl sideでさえちょと構えてしまう。でもすっかり興味がなくなったから、できないことと自分とのギャップに苦しむこともない。(それでもやっぱりああいうのが好きな女の子は好き)

 

私は多分、自分で思っている以上に弱くて暗い。いつもいつも、周りの誰かからの支えがあって、おしまいの時を乗り越えられている。

ガールパワーがすごい女の子たちは、誰かに支えられることが辛いことを乗り越える1番のきっかけではなくて、自分たちでどうにかできちゃうんだと思う。それは、素晴らしいことだと思う。岡崎京子の漫画に共感できる女の子は、だいたいそうなんじゃないだろうか。

 

ガールパワーが強すぎるものや空間に対して、押し売りだなって思ってしまう自分にはっとしたので書きました。